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2016年5月30日 (月)

高松山 神社口~桐原 ②

 さて、高松神社口に到着。積まれていた墓石が無くなっています。墓苑が修復されて、それぞれ、元の位置に戻されたのかもしれません。上っていくと、半ば土砂に埋もれた石のトリイはそのままでした。そちらの方向は、依然通行止めになっていましたが、右側に踏み跡。それをたどります。

 少し東に振れて林道に乗り上げ、そしていつもの斜面から山道へ。さて、右(東)に入る道があったはずと、探しながら歩きます。すると、テープ発見。ちょっと行く先が、おぼつかないようにも見えますが、その方向に進んでみます。それでもやがて、歩いた覚えのある道。まもなく、やや勾配が増してきました。

 そして、「与助丸」の小さな案内表示。はて、その先は尾根道になっているけど、これで良かったか。地図をチェックしても、高松山と別のピークは見当たりません。おそらく、途上のコブに違いなかろうと、思いつつ上ります。やがて、尾根の肩に乗り上げたので、たぶん、このまま進んで大丈夫。東尾根ルートに違いない。

 さて、ここからは、この前、崩落谷へ下りてしまった地点はどこか。そこを探しながら進みます。やがて、「与助丸」という案内表示のある広い尾根に。高松城跡のひとつでしょう。「与助」というのは、息子か。船の名前にも「丸」をつけますが、城の「二の丸」とか「三の丸」とかと、何か共通するものがあるのでしょうか。

 この与助丸の広場を出るところに、巨大な倒木が道を遮っていました。これを通行止めと勘違いして、さらに通行困難な、西側の谷へと下りてしまったようです。木々に覆われているので、はじめのうちはその先が崩落しているとは思ってもみなかったのでしょう。そこから急勾配を上るとまもなく、「東側脈 下山道」の表示。

 相変わらず不思議な命名ですが、意味は明瞭。それにしても、このルート、途切れることなく繋がっていました。ここからは、トラバースして山頂コブへ。そして、若干の急坂を上って、山頂に到着です。13時25分。少し遅くなりましたが、予定どおり、ここで昼食をとることにします。眺め良し。気温22.7℃、湿度31%。

 南原ダム方面を眺めながら、ゆっくりと、スパークオムスビと今日は特別、サクサクチキンを食べます。はじめのうちは快適でしたが、やや風が強いので、だんだん寒くなってきました。さて、切り上げるとするか、出発の準備をして、案内板を参考にしながら、三方の山を同定。下山にかかります。

 しばらく下りていくと、やがて、土居屋敷跡への分岐。ここにあったのか。案内表示板が薄黒くなっていて、下りてくる南を向いているのが、この前北から上ったときに見過ごしてしまった理由らしい。しかも、土居屋敷跡方面は、ずいぶんヤブっぽい。今回は、桐原・上原方向へと下りていきます。

つづき:高松山 神社口~桐原 ③

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