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2016年2月27日 (土)

高松山 桐原~可部東 ③

 やがて、稜線の鞍部に乗り上げたところで、もうひとつの送電鉄塔。さきほどの鉄塔と、送電線が繋がっています。ここから、西南西へと折れて、主尾根に。さらに、道は南へ向けてユル坂を上っていきます。しかし、やがて等高線の詰まった急勾配に。三点キープが必要になるほどの岩場も。

 それを越えて、乗り上げたコブには、桐原と上原の下山道分岐。そして、進行方向には、「谷の坊」の表示。「谷の坊」とは、いったい何でしょうか。判然としませんが、こちらが高松山山頂方向。一旦下りて、上った尾根。右側に、幹にめり込んだ「谷の坊跡」への矢印表示板がありました。

 今日は昼前からの出発なのでわき目を振らず、とにかく高松山山頂をめざすことに。左方向にテーピング。そこを上ると、「桐原に至る道です」の表示板がありました。土居屋敷跡への分岐を探しながら歩きますが、どうにも見当たらず。そうこうしているうちに、まもなく、高松山山頂に到着してしまいました。

 まぁ、良かばい。しばし、山頂から見える山々を同定しながら風景を楽しんで、下山にかかります。「はて、どこじゃったかのぅ」と下山口を探します。見当をつけていた南側に発見。そして今日は、さらに東側の尾根ルートで。覚えのある、それらしき分岐を左へと進みます。果たしてこれで良かったのかと、思うほど北へトラバース。

 やがて、「東側脈 下山道」の表示板。「これで良かったんじゃろ」と、指示通りに下りて行くと、そのまま尾根をたどる道と、谷への分岐にさしかかります。東尾根ルートだから、そのまま進めば良かったものを。どういうつもりか、谷へと向かってしまいます。すると、崩落跡。ルートが断たれています。

 向こう側に、道のようなものが見えるので、いったん、崩落の上端まで行って渡ります。そして、その道のようなところをたどって下りていきますが、途中にはシカが走る急斜面も。それでも、何とかかんとかたどり着いたのは、沢にそった谷道の消滅地点。確かに、こちらにもテーピングがありました。

 しかし、それは崩落前からあったのかも。あのまま尾根を進んだ方が、まともなルートが残っていたに違いない。次はその探索に挑戦してみたいもの。テーマができました。人があまり入ってこないためか、シカの天下になっているようで、歩いていると、仲間に警告するような鋭い鳴き声が響きます。

 それにしても、崩落した沢沿いの谷道は歩きにくい。踏み跡があるので何とかなりますが、難儀。しかし、やがて、山道らしくなり、左に東尾根ルートからの合流を確認。やっぱり、ここに出て来るんじゃ。その下流に、砂防ダムと防岩ネットが造られていました。まだ工事中らしく、作業員が数人休んでいました。

 土曜日の午後にもかかわらず。しかし、会釈をしても、反応がありません。こちらの意図が、伝わらなんだか。そこから、まだ土砂に埋まったままの鳥居へと下りて、墓苑に。そこで若干、服装など整えて、可部東登山口へと戻ります。寺山の下で、完歩祝いの一杯をやりながら、チーズムシパンを食べて、帰途につきました。

:(了)

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