道が深く抉れて川になっているところで土嚢運び
阿武山土砂災害支援ボランティア
安川緑道を進んでいくと、スコップを持った女性が歩いています。ひょっとすると、医療生協のボランティァ参加者だろうか、と思っていると、道路を挟んだ向側の広場に大勢のボランティア・スタイルの人たちが座って待機。8時半ですが、100人くらいは居そう。どうも、この左側が「社協」のセンターのようです。
その集団の前を通り抜けて、先へ走ります。安川に近づいたところで、共立病院が川向こうに見えました。新病棟へ移転したとのことで、どのようになっているのか不安がありましたが、移転先はすぐ傍、南側の確か田圃のあったところでした。集合場所は旧病棟。おぼろげになりつつある記憶に頼ってですが、何とかたどり着きます。
8時37分。「災害ボランティア」の案内表示が出ていたので、すぐに分かりました。その時点では2~3人ほどでしたが、やがて集まってきました。隣に座った若い男性に話しかけてみます。こちらが観音から自転車で来たと言っても、どうもピンとこない様子。向こうの話を聞いてみると、千葉から来たとのこと。なるほど納得です。
他にも、大阪や岡山などからの参加者もありました。遠方からの支援に、心の片隅で密かに感謝。さて、9時半から小型バスに乗って、緑井8丁目へ行くとのこと。バスは、八木3丁目の崩落箇所が正面に見える道に入っていきました。視察サイクリングのとき、捜索隊が列をなしていたところに近いようです。
やがてバスは左に反れて、緑井保育園へ向かいます。ここで泥だし作業の予定。しかし、進行状況によっては、近所の個人宅へ行くことになるかもしれないとのこと。現地に到着したところ、地元のリーダーの判断で、4分の1が保育園で作業、自分を含めた残り大勢は、個人宅へ向かうことになりました。
泥で埋まった畑などを過ぎて、結構な距離を下りて行ったところ、水の流れに突き当たりました。凄まじい光景。向こう側には壊れた家屋、そして、クルマが崖から飛び出していたり、半ば土に埋まっていたり、横転したりしています。この「川」には、簡易橋がいくつか渡されています。そして、ところどころに、マンホールのフタを載せたコンクリートの円筒が。
どうも、ここはもともと道路だったのでしょう。目前に広がる災害の爪あと。「川」に沿って下りていったところが、「うつろ木」という看板の出ている建物。ここが地元の支援センターになっているようです。どういうわけか、ここでボランティア保険の「再」登録をすることに。一人ひとり署名します。
隣合わせた人の、「早く作業をはじめたいもの」という言葉に共感しながらも、集団行動。全員が書き終わるのを待って、少し上へと戻ります。すると、バケツリレー方式で土嚢を運んでいる人の列。その奥(東側)へと、入ることになりました。当初は、嚢に土を詰め込んだり、土嚢をリレーしている人たちの足元へ投げ上げたりしていました。ハイクリーンの要領ですが、土嚢が限りなくあるので、汗が噴出してきます。
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