前回見失った「谷川ルート」を先垰から歩く
岩船岳縦走 谷川ルート~尾根ルート
まだ朝早めなので例のごとく、町家通りを通に抜けたあとは、水族館前にいたる坂を除いて下の道。大元公園に入り、シカの群れをやり過ごして、山道入口をめざします。今回はいきなり右の道には行かず、弥山ルートへの分岐になる橋の手前までそのまま進みます。
すると、その分岐を過ぎてすぐのところに、前方三叉路の分岐。おそらくこの前はここを真中に進んだために、予定外の前垰山に上ってしまったので、間違えないよう左端の谷道を進みます。ここから長い道程を歩き、前垰を経て、勢いのある谷川を渡り、多々良林道から急斜面の山道へ乗り上げます。そして、ようやく先垰に到着。
ここからが鬼門と、垰から「谷川ルート」の入口を見下ろし、心を引き締めます。 しばらく道が続いていて、案内テープもあります。折れた道から若干分かりにくいところもありましたが、何とか道らしきところに戻りながら下っていきます。そして、たどりついたのは、少し勾配が緩くなった林。倒木に見覚えがあります。
ところが、このあたりで道が定かでなくなります。案内テープも見当たらず。そこで、怪しげではあっても、踏みあとのようなところ、とにかく道らしきものを探って、これで大丈夫だろうかなどと思いつつも、たどって歩きます。すると前回藪コギに入ったところらしき、大岩にさしかかります。
それが見つかればしめたもの。そこから先には道があるはず。風になびく、かすかなリボンを頼りにします。小川を2つ越えて、何とか「谷川ルート」に入ることができました。それでも、まだ、ところどころで見えなくなる踏みあとを確認しながら進みます。
歩きながら、「余分な歩きはしない」といっても、今度このルートを通るのは、いつか分からない。陶晴賢の石碑探しにだけは挑戦してみようと思いたちます。歩いていると案内板を発見。森に深く入っても大丈夫なように、コンパスと地図で、現在地点の方角を確認しておきます。
そこからできるだけ道らしきものをたどって、「50m」を覚悟して進みます。 すると、何と予想していたよりも、近くに、1555年10月1日没の表示とともに、丸い石碑がありました。大正10年建立とありますから、ずいぶん後になって造られたもの。「高安が原」と呼ばれているのは、ここらしい。
それにしても、なぜ前回これを見つけられなかったのか、不思議な思い。少し上に岩群があるので、それに気をとられてしまったようです。思い込みと言うやつでしょうか。そこを経由して戻ると、下りでは見えなかった、上側にあった石碑の表示板。さらに上に小さな分岐表示がありました。どちらも上り向きです。
「谷川ルート」本道に戻って進みます。道幅は大きくなったり小さくなったり、川を渡ったり、水浸しになったり、倒木が連なったり、崩壊寸前のところがあったり、とてもワイルドな道。砂防ダムを渡って、谷川の右側に渡ったあたりから、そろそろかなと、次のポイントとなる合流点を意識して歩きます。
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