天狗城山 前を向いて下りる
ここからは安心して歩けます。谷川沿いの道から林道へ出ます。自動車の通行量がやや多い。この道を天応駅まで歩くかとも考えていましたが、あまり好ましくない。時間もまだ大丈夫なので、そのまま深山の滝をめざします。しばらくクルマに注意しながら歩くと、深山の滝入口。
そこに呉市教育委員会の説明看板がありました。「この滝は、「文化度国郡志」では“ひめつるの滝”、「藝藩通志」では“姫摺の滝”と記され、戦国時代に毛利氏に滅ぼされた野間則綱の居城(妣摺城)がこの付近にあり、落城の際、その姫君が家臣とともに滝の上で自害したことから、この滝の名前がつけられたと言い伝えられています」とのこと。
今はもっぱら、「深山の滝」と呼ばれているようです。ネットで調べてみると、1555年、毛利元就に降伏、それにもかかわらず調略で殺されたのは、矢野城当主であった野間隆実ということ。則綱についてのデータは少ないのでよく分かりませんが、「妣摺城」という野間氏の出城が近くにあったのかもしれません。
入口からの道は結構広いのですが、自動車は通行禁止になっています。しばらく歩くと、絵下山方面への道との分岐。どちらにするか。この際、見ずには帰れまいと滝に向かいます。滔々と流れる水。迫力があります。これが夏なら涼しくて、もっと感慨深いものがあったろうに。
さて、二艘木をめざしますが、滝の源流へと続いているようにみえる道の方向には、「町界へ」の表示。バックするのは面倒です。その場合があることも覚悟して、思い切って前へと進みます。幸いなことに、やがて、滝の前で分岐した絵 下山・二艘木への道と合流しました。
木製の橋がかかった、川とジグザグしながら進む広くて緩やかな道。途中に天狗城山への分岐がありましたが、まだ14時過ぎだったので、当初の計画どおり二艘木まで歩くことに。やがて、立派ないくつかの石垣跡と水路が並んでいるところを通ります。まさか、これが「妣摺城」跡というわけでもないでしょう。
少し急になった坂道を上って、二艘木に到着。一息つきます。そこからめざす天狗城山まで、2㎞の表示。1時間くらいかと見当をつけます。小松原山(379.7m)への上りは考えていたほどではなかったのですが、そこから中天狗(355m)までの道、全体的に緩やかな印象を持っていましたが、結構勾配がきついところもありました。
中天狗から天狗城山までは、上りとは逆に今度は、100m下りて、50mの上りですから、少しは気が楽ですが、それでも下りは予想どおり、キツイところがあります。しかし、まだまだこんなものじゃない、天狗城山からの下りが帰りルートでの本番、と自らに言い聞かせます。
そして、いよいよ、天狗城山(293.4m)を下りることに。しかし、実際に下りてみると、確かに急勾配ですが、それにしても火山での岩場の箇所が増えたくらいの感じ。何度か横向きにはなることはあったものの、幸いなことに、後ろ向きで岩にへ ばりついて下りなければならないほどの危険箇所はありませんでした。(了)
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