弥山から博打尾ルートへ
仁王門から弥山へ向かう道中も、山頂も、また獅子岩駅へ向かう道にも観光客の多いこと。中でも北東アジア系ではない外国の人は外見で、関西方面からの日本人は話しっぷりで目立ちます。はじめのうちは声をかけていましたが、あまりに多すぎて、もはや挨拶などを交わす雰囲気ではないことを悟ります。
弥山山頂へは、すぐ手前にあった大日堂から干満岩を通る、未踏ルートを上ります。干満岩はその真偽を確かめるすべがありません。水は汚れていて、塩辛いかどうか舐めるわけにもいかず、干満の変化を見ることができるほど長い時間、ここで待機することもできません。
後から調べてみると、日中の満潮は12時11分でしたから、穴に水が溜まっていたのはそのためでしょうか。潮の満ち干は月の引力の影響で起こるということですから、山の頂上付近でもその力が働くのかもしれませんが、こんな少量の潮水が海から上がってくるとは、にわかには信じがたい「不思議」です。
今日の山頂からの眺め、遠方には薄く靄がかかっていますが、良好です。風景を堪能した後、獅子岩駅へと向かいます。一旦、標高150mくらい下りて、また40m余り登る道。弥山にやってくるほとんどの人は、ロープウェイで上がってきたようで、歩くテンポはゆっくり。でも、道が広いので何とか追い越すことができます 。
獅子岩駅で、しばらく眺望を満喫した後、博打尾ルートの入口を探します。駅の西側直近にありました。比較的緩やかな道。10分余りで榧谷駅に到着、乗換えを待っている行列の下をくぐるトンネルはすぐに見つかりました。そこからやや急な上り坂に。上りきったコブをすぎると、また下りが続きます。雨水で抉られたような歩きにくい道に。
包ヶ浦がみえる地点を過ぎて、しばらくすると今度は道が峰の西側へ下りてしまうことに。先ほど通り過ぎた尾根に分岐らしきものがあったような気がしたので戻ってみます。すると、確かに東側に道のようにも見えますが、入口が枯れ枝で遮られていました。仕方なく戻って、ケセラ・セラと道なりに歩きます。しかし、そこからさらに延々と進んだところで、とうとう分岐を発見 。
そこにある案内板を読むと、毛利軍は、包ヶ浦から陶軍の本陣のあった「塔の丘」へと進んだらしい。駒ヶ林(龍ヶ馬場)で戦いが行われたというから、弥山から駒ヶ林へと進んだのかと思っていましたが、どうも違っていました。龍ヶ馬場の戦は、毛利の立場から言うと、主戦が済んだあとの残党処理として行われたようです。
分岐からは、一部を除いて整備された道が続き、もみ じ谷へは模擬階段が下りて行きます。ウグイス歩道の端を通りますが、時間に制約があったのでそのまま進むことはせず、再び町屋通りに入り、足早に歩いて桟橋へと帰りました。やはり、フェリーにはいっぱいの観光客です。まだ紅葉には少し早い時季にもかかわらず・・・。
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