牛田山で生活していた弥生人
尾長山への登山道はビルの影にひっそりとあります。道程は短いのですが、息が切れて汗が噴き出す急登。山頂では、雨で湿り気味の岩に腰掛けて、少し早いかと思いつつも、昼食をとります。牛田方面も見渡すことができます。柚木城山から見えた建物は、広島女学院大学だったのかもしれません。
山頂から北へ向かいますが、途中で分岐、直進道は藪気味になっているので、東側へ向かう道を選びます。少し先行きの心配はありましたが、緩やかな下りが続き、やがて案内表示のある分岐に到着。そこからも、若干の模擬階段を除けば、ほぼ峰伝いの緩やかな道。176ピーク、三角点の175.6ピークを過ぎて、戸坂南への分岐を確認します。
牛田山(261m)へ向かう道で、ガチャガチャ音 を鳴らして歩くハイカーに遭遇。リュックサックに何やらぶら下げているようです。金属製の食器でしょうか。しかしそれにしても、戸坂南分岐からしばらく歩くことになります。二ヶ城山・松笠山との縦走した場合、牛田山山頂だけ取ってつけたように往復するのも、無理がありそうです。
牛田山の手前には、貝塚跡がありました。弥生時代に、ここで生活していたらしいのですが、確か麓あたりは海だったはずですから、さもありなむ。もっと後の銀山城にしてもそうですが、昔の人はここを日常的に上り下りしていたのでしょうから、相当元気だったようです。山頂には、フェンスで囲われた畑の跡ようなものありましたが、貝塚とは関係ないかも・・・。
不動院口をめざして歩きます。最初の分岐で 左に曲がりましたが、かなり歩いたところで地図を確認してみると、牛田早稲田小学校へと向かっていることに気づきます。しかし、そのまま進むと街中をさまようことになるので、引き返すことに。往復20分のロスタイムとなりました。今度は、慎重に歩きます。
やがて、戸坂口方面への分岐を確認。その間もときどき、パラパラと雨が落ちることはありましたが、コブにある休憩所についた塗炭、強く降り出しました。幸いなことに屋根があったので、そこでしばし休息。最後の分岐から不動院口への道は、下草が生い、茂り藪に近い状態がしばらく続きます。そして最後は急坂。左右交互にロープが張られているので、何とか歩ける状態です。
市街地に下りてからの道が分からなくなりました。こちらをスタートにすると、登山口探しに難儀したかも。地図とコンパスを頼りに、何とか大芝橋へたどり着きましたが、結局、不動院には接触することはありませんでした。そこから、さらに横川駅まで3kmの道程を30分ほど、歩く人や建物を眺めながら歩きました。
つづき:姿けだかき二葉山~追伸
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